取材レポート③金剛輪寺~国宝を守り続けるということ~
取材企画第3弾は、湖東三山「金剛輪寺」様へ行って参りました!
◇金剛輪寺・・・741年(1280年前/奈良時代)に開山
・本堂:国宝に指定
・三重塔:重要文化財に指定
インタビュイー:金剛輪寺 住職 濱中 大樹 様
【ご経歴】
父親が亡くなって、平成25年に金剛輪寺の4代目住職となりました。
それまでは天台宗の関係で、坂本にある天台宗務庁に丸8年勤めてました。
平成8年の4月からはこっちに帰ってきて、副住職として働いておりました。
この年はちょうど娘が生まれた年でもあります。
ちなみに4代目といっても、私の曽祖父が明治時代の終わりに寺に入ってから世襲制となりました。
それまでは大勢のお坊さんから1人住職を選ぶ、という形でした。
※最盛期(信長焼き討ちの少し前くらい)は、最高で5~600人ものお坊さんがいたんです。
山本:娘さま、平成8年生まれということは私と同じ年ですね・・!
ずっと気になってたのですが、
1200年以上も国宝を守り続けるって想像ができなくて・・・
どうやって維持されてるんでしょうか?
濱中様:
約1200年もの間、お寺を守っていくのに大変な時代を乗り越えてきました。
明治時代は政府の方針で、仏像が壊されたり、お坊さんが強制的に辞めさせられたり、織田信長に焼かれたり・・様々なことを乗り越えて今日に至っています。
【維持の方法】
◇過去(明治以降~昭和40年くらいまで):林業
・・・山手にあるお寺は、山の中にある木を切り出し、それを売ってお寺の維持に充てていました。
→海外から安い木材がたくさん入るようになり、日本の林業も衰退してきた
◇現在:観光業
・・・鎌倉、平安の古い建物があるところは大体観光事業で維持しています。
国宝/重要文化財に指定されているものは、修理の際は文化庁が資金的な面でも助成してくれています。
しかし、修理費全部を国や県がもつわけではなく、かなりの額がお寺の自己負担になります。
大昔の建物のため、すぐ1億2億とか半端ない額がかかって・・・
何割か負担しろと言われるときついし大変なんです。
山本:
すなわち、観光でお客様に来てもらわないとお寺は維持できないんですね。
ちなみに教育旅行の受け入れ状況はいかがでしょうか?
濱中様:
【教育旅行について】
・・・以前はたくさん来ていたが、最近は年に数校のみ。
理由:地元の学校があまり来なくなった。
∟近くの重要文化財に触れましょうというものが近年減ってきたように感じる。
=学校の教育の場で利用されてない気がする。(地域性もあるかも?)
▼濱中さんのこども達への思い▼
1.みんなの先祖が守ってきたものを引き継ぐのが”全員の義務”
・・・先人が守り伝えてきた文化財を伝えていくのは将来の子供たちだから、見て触れてほしい大切なこと。
国宝とか重要文化財は国民の税金で修理ため、大金をかけることは国民の理解がないと続きません。
こういうことを子供の時から理解してもらってないと、
「なんでこんなとこに税金入れるねん、お寺とか無くなっても関係ないやろ」という考えの人が増えてしまいます。
2.自国の歴史・文化に誇りを持ってほしい
でも、日本という国に生まれたわけだから、本来の日本の文化が廃れたらダメ。
自国の歴史や文化を大切にしないことは海外の人に尊敬されないし、
海外から日本に来ている人も、日本文化も良いが、自国の文化に誇りをもってる方が多いように思う。
金剛輪寺に訪れることにより、まずは自分の国、自分の郷土に誇りをもつきっかけになれば嬉しい。
3.歴史・文化を守り続けてきた自分たちの先祖に敬意を称する
金剛輪寺は741年から歴史を紡いできた。
滋賀県には古い建物が多いんです!(鎌倉時代の建物の保有数は1位)
京都はほとんどが江戸時代の再建です。
京都に負けるものはたくさんあるが、滋賀県も良いです。
滋賀県も戦乱が多かった土地柄だが、戦があっても焼かれずに多く残ってるのは当時の努力。
天災や人災が今後あるかもしれないが、それを乗り越える力があるということ。
来た人が”ホッと一息つける場所”
・・・「お寺」というのは、いろんな人が来るし、人それぞれお寺に何を求めているかが異なります。
普段の生活の中で嫌なことがちょっとでも忘れられる、ちょっとでも心の安らぎを…
月並みの言葉だが、そういうことを感じていただけるのがお寺であると考えています。
去年が緊急事態宣言が出て、京都、奈良、滋賀のお寺はすべて門を閉ざしました。
僕自身、デパートは休業要請が出てるが、あんな状況でも人は来てたし、こんな時に出歩くな、という気持ちもあって・・・
休業要請が出たわけでもないが、世の中の流れ的に。という理由で門を閉ざしました。
閉まっていてがっかりして帰った人もいた。
お寺は本来どんな状況下にあっても門を開いて、お寺に何か求めてる人に門を開いてあげるべきだった。こういう情勢だからこそ、心のよりどころ、心の安らぎを求めている人がいました。
そういう場所を提供するのがお寺の役割だな、と感じました。
~取材を終えて~
国宝を守り続けているご住職ご本人から話を聞くことができる。という点です。
濱中様曰く、京都や奈良の寺院は見学だけで、お坊さんやお寺の人のお話しが無いことが多く、
例えば京都は、タクシーの運転手さんがお寺の歴史について話してくれるそうです。(いわゆる第三者が説明)
・・・守り続けている本人が話すことにとてつもない価値がある、そう強く感じた取材でした。
・・・インターチェンジ新設の要望活動は昭和50年代から始まり、地元一丸となって設置要望活動を積極的に行っておられました。おかげ様でアクセスも良くなってました◎